製品デザインから体験デザインへと開発アプローチが変わった実例を紹介する。
写真業界の例:コダック社 Kodak Camera
体験中心のシステム的アプローチを初めて行なったのは、遡ること100年以上前、カメラを作るコダック社によって行われた。「あなたはボタンを押すだけ、あとはおまかせください」という有名なスローガンがあった。
写真のプロセスは元来複雑であり、カメラを持っていてもその写真を見るには複雑な現像処理を行うか専門家に法外なお金を払う必要があった。そこでコダック社は100枚撮り終えたところで郵送すれば現像して写真を完成させてくれる所までをサービスとして提供した。
コダック社は、理想的な顧客体験を届けるためには、単に商品を売るだけでなく、継続的に顧客と関係を築く必要があることに気づいていた。カメラを一つの製品としてではなく、サービスの一要素として考えていたのである。まさしく製品デザインではない、「体験デザイン」である。
これは昔の話ではあるが参考になる例であり、製品デザインの発想から脱却するために次のように考えると良い。「人は何を成し遂げたいのか」「この行為がユーザーの生活にどうあてはまるのか」「どうすればこの期待に沿うことができるのか」
音楽プレーヤー業界の例:アップル社 iPod
コダック社のカメラの例は写真業界を転換し、体験中心のアプローチの先駆例としてよくあげられる。それと同様に音楽プレーヤー業界ではアップル社のiPodがあげられる。
それまで音楽を持ち歩こうとする場合の選択肢は、CDを何枚も持ち歩かなければならないCDプレーヤーか高価で使いにくいMP3プレーヤーかであった。
iPodはきわめて制限の多いデバイスであった。基本機能は、曲を選び・再生し・評価し、音量を調整する、だけだ。どの装置もそれ単体で何もかもできなくてはいけないと信じ込んでいたマーケターを尻目に、コダック社の例のように体験戦略によるアプローチをとった。理想とする体験目標は次のようであった。
「あなたの音楽(やがてはメディア)のすべてを、いつでも、どこでも」
iPodの一貫したデザインと開発に関わることすべてが、この一つの目標に向けられた。アップル社が優れていた点はやはり、外観やインタフェースといった製品のデザインだけでなく、音楽を聞く消費者のためのシステム全体をデザインすることにあった。このシステムとは「メディアの入手」「メディアの管理」「メディアの視聴」の3つの部分に分けられている。
メディアの視聴:iPod
外出先でメディアを再生する人が望む最小限の機能を届けることに的を絞る。
メディアの管理:iTunes
メディアの管理に必要なあらゆる機能を持たせる。iPodを持っている人は必ずコンピュータを持っていることが想定できるためにできた。音楽の削除や名前の変更、プレイリストの作成はコンピュータで行うのがはるかに効率的である。iTunesの存在がiPodをのシンプルでエレガントなデザインを可能にした。
メディアの入手:iTunes Music Store
このiTunesに組み込まれたオンラインストアを使うことでメディアの管理をするのと同じくらい簡単に、メディアを手に入れることができた。これまでの入手方法はCDを買ってきてデータを移すか、違法にファイルをダウンロードするかのどちらかであった。
このように製品の枠を超えてデザインすることで、機能を最も適した部分に集中させ、大事な利用シーンにおける不必要な機能を上手く外すことができた。そしてこの3つの要素は明確にわかれていながらスムーズに繋がっている。iPodをコンピュータに接続すると自動的に同期する仕組みがこれを最も良く表している。ボタンを押す必要すらない。
さらに、この3つの要素は互いにうまく補い合っており、どれかが上手くいくことで他の部分も強化される。互いに価値を高めう関係となっている。
こうした体験デザインを実現した結果、厳しい競争の中、メディアプレーヤー市場で60%以上という他を圧倒するシェアを誇っただけでなく、メディアダウンロード市場でもシェアは80%を超えることとなった。
焦点の維持
さらに言及しておくべき点として、アップル社はその理想とする体験を貫き通したことがあげられる。他社は音声録音やFMラジオ、Wi-Fi接続など機能を数多く提供してきており、この厳しい競争圧力のなかでiPodも他社に対抗して機能を拡張しても不思議はない。しかしアップル社はほとんど機能を追加することはなく、追加したのはポッドキャスト、テレビ、映画、オーディオブック、ゲームなどの新しいタイプのメディアであり、基本機能は主として曲を選んで再生することであった。
応用:金融期間における実例
前提と現状
金融サービスの顧客向けウェブサイトのデザイン変更を行なった際の話である。同サイトは、口座の残高照会や送金、株取引などができるサイトであるが、ほとんどの顧客はコンピュータもインターネットも使えるにも関わらずウェブサイトを利用している顧客はわずか20%であった。顧客は何かしたいときには、些細なことでも担当アドバイザーに電話して頼んでいた。
そこで、利用文脈を探ろうと15名の自宅で訪問インタビューを行なったところ、ほぼ全員が毎月送られてくる明細書についての不満をあらわにした。明細書は長ったらしく、よくわからない情報が詰め込まれておりその量は20ページにもなり、誰しもが最初のページのそれらしい数字を見るとそれ以降のページは無視していた。
観察を行うと、タッチポイントを縦割りの部門ごとで扱っており、そして各タッチポイントにおけるデザイナーが連携をとっていなかったことがわかった。そのためそれぞれの部門ができるだけ多くのサービス(機能)を提供しようとしており、その結果、各タッチポイントに同じ機能が繰り返された。
要するに、ウェブサイトのデザインをいくら改善しようが、他のタッチポイントの出来によって弱められてしまうのである。毎月の腹立たしい明細書にがっかりする顧客が、企業に対して直接関わってもしかたがないという思いを強くする限りウェブサイトが本来の力を発揮しないのである。
どのタッチポイントも残らず、iPod, iTunes, Music Storeのように調和のとれた一つのシステムの要素として考える必要があった。
このシステムの重要な目的は2つである。「顧客に目標を達成させること」「機能をシステム内で最も適した場所に移すこと」である
解決案
①タッチポイント全般のデザインを改め、その際に顧客の体験に目を向ける。
②明細書を簡略化して顧客が知りたい重要な情報に絞る。
③アドバイザーは、株式ポートフォリオの計画や割り付け、大型ローンなどのように人間の頭脳の助けを必要とする難しい仕事のためだけに呼ぶようにする。
④ウェブサイトは明細書とアドバイザーという2つのタッチポイントの間を埋めるよう設計する。
・明細書に詰め込まれていた手に負えない内容を必要な時に呼び出せるようにする。
・人間を必要としない口座間の資金の移動や少額口座の開設といった単純な日常業務を行えるようにする。
このように上手く作業分担させることでタッチポイントそれぞれの強みを発揮させ、タッチポイントにとって必要のないふさわしくない機能を取り除き不満を解消することができたのである。顧客は複数のタッチポイントをまたがっており、組織が縦割りの部門でばらばらのアウトプットを顧客に提供している場合、一貫させる必要がある。
組織を変えることが必要不可欠であるが、それは企業規模が大きいほど非常に困難となる。それでも、真の成功を目指すなら、顧客と接する部分は残らず縦割り部門から飛び出し、顧客体験の全体像に本気で取り組む必要がある。大企業で特に問題なのが、効率と運用を最適化するような構造になっていることで同じサービスを繰り返し提供する際には有用であるが、「真に顧客に向き合う組織」とは対極になることを意味する。
コダック社やアップル社はこうした既存の組織構造を持っていなかったことは成功した大きな要因と言える。すでに確立されている業務の流れを統制しなければいけないソニーなどにはできなかった。
システムデザインはやりすぎもよくない
こうした一連のシステムをデザインしていると何から何まで細かく決めてしまいと思うかもしれない。しかし、体験の何もかもを管理することはできなく、そうすべきでもないということは忘れてはならない。体験をデザインすることに関しては喜びと横暴の境界なども紙一重であることは覚えておかなければならない。体験も、システムも、デザインや技巧の凝らしすぎは禁物である。
システムとはやがて退化するものであると認識しておく必要がある。そしてそうした際に、体験全体を崩壊させないようにしておかなければならない。
体験デザインにとって真の成功とは、すべてが計画どおりはこんだときに上手くいくかどうかではなく、何かがおかしくなり始めたとき、いかにきちんと動くかである。
これを試すにはシステムの利用者に足跡を残してもらうのが良い。そして最終的には、つなぎ目のないシームレス環境よりも、意味のある美しいつなぎ目を設け、自分のニーズに合った体験にカスタマイズできるようにするべきである。
最後に
一番重要なことは体験全体を成す各要素が互いに補完し合い、顧客のニーズ以上のこともそれ以下のこともしないことである。
所感
コダック社の事例はドナルド・ノーマンの著書でも取り上げられるなど、体験中心アプローチの先駆けとして語り継がれている。その時代は100年以上前なのに対し、その次の良い事例としてあがるのはiPodと2001年と記憶に新しい。
iPodが優れていた点はその洗練された見た目的なデザインとして評価されていることが少なくないが、その背景にはシステムとしての完璧な体験戦略があった。利用シーンに応じて不要な機能を取っ払ったデザインは実に理にかなっており、いちユーザーとしてその戦略には共感すると同時に圧巻である。
さらに、焦点の維持をしたことも成功の大きな要素であると言える。新規事業立案などを行う際、戦略をシンプルに一言で言えるか、は重要になってくると思うが、理想とするUXを定め、軸とすることがこれにあたり焦点の維持に役立つことだと感じた。
全てのタッチポイントが調和のとれた一つのシステムの要素であるとして考える必要がある、というのもまさに納得で、金融サービスにおける例によりその理解を深めることができた。明細書などは時代とともになくなっていくかもしれないが、メールなどに置き換えて考えても良いだろう。それを踏まえウェブサイトやアドバイザーの在り方などは参考になる。
Peter Merholzら (2008), SUBJECT TO CHANGE, オライリー・ジャパン