Adaptive Path社はデザインには次の要素があると述べたうえで、ビジネスを成功させるためには、デザインが「組織コンピテンシー」になる必要があるとしている。
(コンピテンシー:仕事の役割に対して期待される成果をあげるための行動特性)
<共感>
デザインは人の役に立たなければならない。よってデザインするためには、今デザインしているものが人とどう関わるかを理解する必要がある。
<問題解決>
デザインが力を発揮するのは、結果が流動的で、多くの利害関係者が関わり、境界がはっきりしない、そんな複雑な問題に対処するときである。
<アイデア創出とプロトタイピング>
デザインが作り出すのは、抽象的であれ(設計図、青写真、ワイヤーフレーム、概念モデル)、具体的であれ(プロトタイプ、実物モデル)「物」である。デザインが創造的行為であるからには、実際に何かを作り出す必要がある。
<選択肢を見つける>
デザインでは、新しい選択肢を作ることに比べて、既存の選択肢を分析することが少ない。あるときは既存の選択肢を新しい方法で見ることであり、またあるときはゼロから作ることを意味する。効果的なデザインプロセスは、一つの問題に対して解決策をいくつももたらすのが普通である。
Peter Merholzら (2008), SUBJECT TO CHANGE, オライリー・ジャパン
Apple社が特に、徹底的にデザインを活用することによって驚異的な成功をもたらしており、その原動力はCEOのスティーブ・ジョブズにあった。ジョブズは美しい解を見つけることについてこんな話をしている。
「最初に問題を見たとき、それがまるで簡単そうに見えたなら、あなたは問題の複雑さを正しく理解していません。やがて問題に突き当たり、それが本当は複雑だったことを知り、複雑きわまりない答えを出します。これは一種の中間点のようなものなのですが、ほとんどの人はここでやめてしまいます。しかし、本当にすごい人物は、鍵、すなわちその問題の根底をなす原理を探し続け、ついにはエレガントで本当に美しくて使える答えを出します。われわれがMacでやりたかったことがそれでした」
スティーブ・ジョブズ
体験こそが製品
パラダイムシフトのスパンはさらに短くなっている昨今、スマートフォンの普及を皮切りにこの10年は特に製品やサービスのあり方が全く変わるものとなった。日本においても近年になってデザイン思考が叫ばれているなか、Adaptive Path社は著書SUBJECT TO CHANGE第一版を出版した2008年に既に製品やサービスがもたらす「体験」の重要性に述べている。
世界は日を追うごとに不確実性が高まり、これまで長い間役に立っていた道具も使えない。
テクノロジーだけでは十分ではない。
機能を追加するだけでは客を呼べない。
現状の業務の中には絞り取るだけの効率化はもはや残ってないし、
製品から取り除くべき欠陥もない。
Peter Merholzら (2008), SUBJECT TO CHANGE, オライリー・ジャパン
不確実な世界で製品やサービスを提供する際、心に留めるべきは、顧客とその能力、ニーズ・欲求を、うわべだけでなく深層まで向き合うことである。そしてこの留意点を肝に命じておく必要がある。これができたとき、そして顧客に心から共感できたとき、顧客にとって体験こそが提供されるべき製品・サービスであり、そして顧客の真の関心事は体験にしかない、ということに気づくであろう。
真に必要なのは体験戦略
このご時世にビジネスを成長させるにあたり、テクノロジーや機能、最適化の手段といった類のことだけに投資する価値はもはやない。自社のサービスによって顧客が得る「体験」にこそ価値があり、真の差別化要因である。この「体験」を作ることこそ、この変化し続ける世界で、探究して取り入れるべき戦略である。
人の体験を構成する特質は以下である。体験の良し悪しは、この特質がそれぞれ満足できる対応ができていたかどうかを指す。
動機:
どうしてその製品を選んだのか、そこから何を得ようとしているのか
期待:
何かがどう働くのかという先入観
知覚:
製品が人の感覚にどう影響を与えるか(見る、聴く、触れる、嗅ぐ、味わう)
能力:
人が認知的、物理的にどう製品に関わることができるか
流れ:
時間とともにどう製品と関わっていくか
文化:
その中で人が行動するための規則(マナー、言語、慣例)、行動基準、思考体系の枠組み
ビジネスをするにあたり、競合優位性を勝ち取るために尽力することは往々にしてあるだろう。しかし、他のみんなが修得したことの上達を目標にすることを戦略とは呼ばない。戦略とは意識的にライバルと違う戦術を選ぶことである。「機能」にフォーカスして他社と比較して劣っている機能を補填するといった他社と対等になろうとするようなことは戦略ではない。他社との対等、それはすなわち顧客から見たとき同じような企業となり、そこから得られる体験は陳腐で力もなく、消滅するか、マイナス面ばかりに目がいくようになる。
他社と違うやり方をして、その違いの価値を顧客に見せつけることを基盤とした戦略こそが、競争力のある戦略となる。優れた体験戦略とは顧客に示すことのできる違いを作り出し、それを長期間維持することによって他社よりもよい結果を残すことである。
また、単に業界ナンバーワンになることも戦略ではない。何が一番であるかは、まさしくそれを決める人次第だからである。重要なのは「重要な顧客グループにとって大切な一連のニーズに答えるユニークな価値を届けるにはどうしたらよいか(Michael Porter, 2006)」である。重要な顧客グループに対してどんな一番を感じてもらうかを考えることにある。(例えば、ストレス社会で心身ともに困憊している若年社会人に向けたリラックスをテーマにした宿泊施設は休日の活用法として一番癒される、など)
さらに、差別化の観点から述べると「新奇性」や「新しい」ことも、そこにふさわしい意味がなければ差別化とはならない。(例えばドローンとPCが一体となった空飛ぶPCが開発されたとしよう。空飛ぶPCは実に新奇であるがPCを空に飛ばしたい人はいないであろう。一方、ドローンとカメラが一体となった場合、それまで空撮はヘリコプターを用いなければならなかったのが誰しも低コストでハイクオリティな空撮を行えるようになった。後者はふさわしい意味があると言えるだろう。)
対等戦略や新奇性による差別化などによってもたらされる価値は低く短命である。そのため、様々なリソースの制限などもあり容易ではないが、体験戦略への集中が重要となる。
体験戦略は様々な形態をとるが、中心となるのはビジョン(理想とする体験を表現したもの)である。
2008年時の成功事例としては、Google Calendarがある。それまでYahooとMSNでシェア65%を占め、Googleが2.5%という状況から僅か8ヶ月でMSNを抜きYahooとも僅差にまでつける。
効果的な体験戦略
体験戦略を持つためには確固とした計画が必要である。その体験が顧客、会社のどちらにとっても価値を生むよう実行、維持、管理する際の判断の指針となる。このようにして計画された体験には次のような特徴がある。
真の差別化。自社独自の事に関して、顧客視点からみた差別化ができる。対等な機能は体験戦略ではない。
顧客にとっていちばん大切なこと。このような体験を真に理解するためには、顧客の文脈で理解する必要がある。顧客が進んで関わりを持つのは体験そのものであり、それを作っているボルトやナットではない。
体験に投資し、他の数あるチャンスを管理するのと同じように体験を管理することができる。経営上の意思決定の際には、それが体験に及ぼす影響を考慮に入れるべきである。
養い、育むことができる。ただしそれは、企業が好むような統制された素地からではなく、本章のはじめで概説したように、顧客のきわめて人間らしい感性から生まれるものである。
Peter Merholzら (2008), SUBJECT TO CHANGE, オライリー・ジャパン
所感
こうしてみると、スティーブ・ジョブズが残した功績は改めて実に大きい。広義としてのデザインという言葉の本質やその重要性を実際に製品に反映させることで実証した。日本においては近年においてデザイン思考やUXデザインという言葉が普及・浸透してきたが、こうした概念を用いた製品・サービスの開発プロセスが今に始まった事ではないことが改めて明らかとなった。
デザインが提供するのは製品やサービスではなく、「体験」でありこのことにいち早く気づき、実践している企業が現在メガベンチャーとして飛躍的成長を遂げた、ということは想像に難くない。
モノやサービス、情報が溢れたこの世界において忘れがちになりつつある原点として、あくまでもこの世界はヒトで成り立っていること、そしてそのヒトのために価値を提供することの重要性、といった本質をついているように感じた。
UXデザインにおいてはサービス利用中以外の利用前・利用後も重要であり、そのことを表す「利用文脈」という言葉が出てきたこも印象深い。現在各所で言われているデザインプロセスを2008年の時点で明らかにし、体系的にまとめているAdaptive Path社の今後の動向は実に参考になるであろう。
Peter Merholzら (2008), SUBJECT TO CHANGE, オライリー・ジャパン